COLUMN

(2016.10.29更新)

第6回 「青い光」セルフライナーノーツ

先日9月10日に行ったBLUE SUGAR SPIRITSのワンマンライブより、
ライブ会場限定でアコースティック音源”青い光”の販売を開始しました。
全6曲入り、完全自主製作、テクノロジーによる修正無しの無添加な一枚です。
今回はこちらの作品について、ギタリスト大輔目線のライナーノーツをお届けします。

1.ハイウェイ
かぁこ作詞・作曲、もともとバンド編成でやっていた曲ですが、
最近は専らアコースティックのライブで演奏することが多い曲です。
ライブではギターを弾きつつコーラスにブルースハープにと小忙しい曲ですが、
今回のレコーディングでは更に足音を入れてみました。
あくまで個人的なイメージですが、
邦画”夢売るふたり”のエンドロールで流れてほしい、そんな感じ。

イントロとAメロのコード進行がA→D→G→Cなんですが、
ちょっと変わったコードを使っていて(何て言うコード名で呼べばいいかは分かりません)、
ギター4弦が半音ずつ下がっていくのが個人的にツボというか、
指の動きが美しいというか(マニアック)、我ながらよく考えた、
と密かに自画自賛しているポイントです。

2.始まりの唄
大輔作詞・作曲、アコースティック専用の曲が欲しくて作りました。
更に今までブルシュガにあまりなかった
「夏」とか「海」とかのイメージを盛り込んでみました。
僕なりの”ENDLESS SUMMER NUDE”です。
でもそこはブルシュガ、夏の海でも「夜」なんですね。
冒頭と終わりに波の音を入れてみました。
あと要所要所でエッグシェーカー(小さな卵型のマラカスみたいな)を振っています。

3.青い光
大輔作詞・作曲、本CDのタイトル曲です。
そして僕が初めてピアノにチャレンジした曲でもあります。
もともとバンドアレンジで演奏していた曲ですが、
2015年夏に出演したアコースティックのイベントで
「ピアノを弾いてみたい」と思い立ち、
この曲をアレンジしてピアノで演奏することにしました。
ピアノに関しては全くの素人、ほぼ独学
(ピアノの心得があるかぁこにアドバイスはもらいましたが)の僕が、
初めて人前でこの曲を演奏した時の緊張と言ったら…
今ではだいぶ慣れましたが、やはりギターの曲に比べると未だに緊張します。
ライブではピアノだけの伴奏ですが、今回はアコギでソロやアルペジオを重ねています。

4.アゲハ蝶
BLUE SUGAR SPIRITS初のインスト曲です。
元ネタは随分前からあって、でもなかなか良いメロディーや歌詞が思いつかず、
それならいっそインストにしちゃえ、とこの機会にレコーディングしました。
でも不思議なもので、レコーディングのためにアレンジを考えていたら
メロディーと歌詞のモチーフが見つかりました。
なのでいずれ歌詞を乗せてライブで披露することになるかと思います。
地味に結構ギターを重ねています。
終盤のパーカッシブな音はアコギのボディを叩いて出しています。

5.ハレルヤ
大輔作詞・作曲、ブルシュガにしては珍しく6/8のリズム、いわゆるハチロクの曲です。
2~3年前にバンドアレンジのデモ音源は作っていたんですが、
何となくタイミングを逸して実際にバンドで音を合わせることなく時が過ぎてしまいました。
とあるライブでアコースティックのロングステージをやることになり、
そこでこの曲をやりたくなって、そもそものバンドバージョンより先に
アコースティックアレンジでお披露目となりました。
今回のレコーディングではベースも弾いています。
前述の通りそもそもはバンド用に作った曲なので、
バンド編成でも早く披露できたらと思います。

6.ホワイトファルコン
BLUE SUGAR SPIRITSのライブではバンド・アコースティック共に欠かせない一曲です。
バンドバージョンとはまた違った雰囲気のアレンジに仕上がっています。
今回のレコーディングではタンバリンを重ねていますが、
それ以外は敢えてライブに近い感触にしたくて基本ギター一本で弾き切っています。

アコースティックの音源を作ったのは今回が初めてですが、
エレキギターとはまた違った難しさがあって、勉強になりました。
完全自主製作、流通にも乗っていないのでライブ会場限定販売ですが、
BLUE SUGAR SPIRITSの新たな一面を詰め込んだ一枚、ぜひ多くの方に聴いてほしい作品です。

ちなみにこのCD、とある曲に私大輔の飼い猫シャロンの鳴き声が収録されています。
我が家でのレコーディング中、偶然鳴いたタイミングが面白くてそのまま使うことにしました。
ぜひ探してみてください。

 

(2016.5.16更新)

第5回 「碧と朱の世界-アオトアカノセカイ-」セルフライナーノーツ

4月27日、BLUE SUGAR SPIRITSのCD「碧と朱の世界-アオトアカノセカイ-」がリリースされました。
バンドにとって久しぶりの音源リリースで、とても嬉しく思っています。
そこで今回はCD収録曲についての解説、
いわゆる「セルフライナーノーツ」をお届けします。

なおリズム隊はライブのサポートでもお馴染み、
MiVKのBa.宮本篤とDr.大森雅之が全曲演奏しています。

 

1.青い鳥

かぁこが作詞・作曲したオープニングナンバーで、
現在ライブでも一曲目を飾ることが多いです。
亡くなったおじいちゃんについて書いた歌詞、とのこと。

使用したギターアンプは
レコーディングスタジオで薦められたRoccaforte(ロッカフォルテ)、
それをBOSSのBD-2Wで軽く歪ませています。
この曲はその音色だけで全パート弾ききっています。
ギターソロやサビ等はギターを重ねていますが、
基本的にはライブと同様ギター一本で弾いているイメージです。
ちなみにギターは全曲Fender USAのテレキャスター
(黒いボディにシェルのピックガード、もう10年以上弾き続けている相棒)を弾いています。
曲やパートによってピックアップをリアとミックスで使い分けていますが、この曲はリアのみです。
ギターの聴き所と言えば随所に出てくる高速カッティングでしょうか。
こういう速いエイトビートの曲だと
考える前に右手が16分のカッティングをいれてしまいます。
ギターソロはあまり難しく考えずに勢い一発、ライブでも毎回微妙に違います。

この手のリズムを叩かせると、少なくとも僕の周りでは
大森君の右に出る者はちょっと思い当たらないですね。

 

2.真夜中の孤独なココア

僕が作詞・作曲しています。
詞については、田辺聖子の”孤独な夜のココア”という本をかぁこから借りた時、
本の中身を読む前にそのタイトルが気に入ったので、
“孤独な夜のココア”という歌詞を書こうと思って書きました。
メロディーとの兼ね合いで結果的には
“真夜中の孤独なココア”というタイトル・詞になりました。
なお僕自身はあまりココアは飲みません。専ら珈琲党です。

この曲のギターも基本的には”青い鳥”と同じセッティング・歪み一発の音色で、
2コーラス目でVOXのワウペダルを使用、
あとはギターソロでうっすらリバーブを卓でかけているくらいです。
“青い鳥”と変化をつけるため、右チャンネルと左チャンネルで少し違うフレーズを弾いています。

2サビ後からギターソロまでの展開が気に入っています。
あっちゃんによるベースソロをご堪能ください。

ブルシュガでは「コーラス番長」ことかぁこが僕にコーラスを歌わせたがるのが常で、
その中でもこの曲はコーラス多めに仕上がっており、
ライブではゼーゼー言いながらハモっています。

 

3.Don’t stop the music

かぁこ作詞・作曲。
かぁこは作曲の際、彼女自身はデモを作らずに
メロディーとコード進行、そして大まかな曲のイメージを僕に伝えます。
それを元に僕が編曲し、ドラムを打ちこんでベースとギターを弾いて、
改めてかぁこに歌ってもらって仕上げたデモを
サポートメンバーに聞いてもらってスタジオで実際に合わせていく、
というのが基本的なやり方です。
この曲もそういう流れで仕上げた曲ですが、
「ギターのリフは布袋の”BAD FEELING”みたいなカッコいいやつ」という指定が入りました。
というか彼女は16ビートの楽曲では大体”BAD FEELING”とか
“レッチリ”とか言いがちなんですが、
そのリクエストに対する僕なりの回答がこのギターリフです。
自分で考えたはずなのに結構難しいリフで、大分練習しました。
“青い鳥”もそうですが、他人が作った曲に対して後付けのギターリフが
ばっちりハマると、自作の曲よりもある意味達成感があります。

この曲でも大輔がコーラスで出しゃばってますね。

ギターサウンドはピックアップがミックスの基本クランチのみ、
トラックもアウトロ以外は重ねず1トラックだけ。
アウトロ手前のアルペジオはコーラスをかけているようにも聞こえますが、
実はダブリング(全く同じフレーズを2回弾いて重ねる手法。
コピーペーストではなく人の手で2回弾くので若干のズレが生じ、
それが音の厚みや揺らぎにつながる)による音色です。
どの曲もギターソロ以外のバッキングやオブリはほぼ全てダブリングをしていますが、
こういうアルペジオは効果が如実に表れますね。
4.泡沫

僕が作詞・作曲しました。
曲自体は前からあって、東日本大震災の後に書いた曲です。
なので歌詞には僕なりの震災による影響が出ていると思います。
その当時のメンバーで実際に演奏してみたんですが、
いまいち仕上がりに納得がいかず、そのままライブでも演奏することなくお蔵入りとなりました。
でも曲自体は良いはずだからいつか仕上げたい、と思っていて、
今回ようやく日の目を見ることとなりました。

タイトルの”泡沫”(うたかた、と読みます)は、レーベルのボスから
「読めないからタイトルの表記を”泡沫 -UTAKATA-“にしてはどうか」
と打診があったのですが、断りました。
もちろん分かりやすくしたほうが伝わることもあるんでしょうが、
サビで「♪うた~かーた~」とはっきり歌っているし、
あまりリスナーを甘やかし過ぎる(あえて乱暴に言うとリスナーを「舐める」)
のもどうかと思ったので、タイトルは漢字表記のままで押し通しました。

基本トラックは歪みとクリーンを使い分けています。
右と左で結構違うことをしているので、ライブとはまた違った印象かと思います。
歪みは先述のRoccaforteとBD-2Wですが、
クリーンはギターアンプをマーシャルに替えています。
始めはフェンダーのアンプでクリーンを録るつもりだったんですが、
「マーシャルのクリーンって良いんだよ」
とエンジニアさんに薦められて試したところ、その通りだったので採用しました。
マーシャルと言えば歪み、という印象が強かったので意外でした。
あとはギターソロで歪みを更にBD-2でブーストして、リバーブを後がけしています。
5.I want

かぁこ作詞・作曲ですが、
この曲の一番のトピックは編曲を外部にお願いしたことです。
きっかけはレーベルのボスからの
「客観的な視点を入れてみてはどうか」という提案でした。
そしてボスが白羽の矢を立てたのが、
レーベルメイトでもあるulma sound junctionのVo&Ba.田村ヒサオ君でした。

まずはいつも通り、かぁこからもらったメロディとコードを基に
僕が作ったデモを田村君に聴いてもらい、
次に「ここはこうしてみてはどうか」と彼が作ったデモをリターンしてもらいます。
Aメロのリズムやフレーズ、サビの尺、
そしてラスサビの転調前のセクション追加など、
田村君のアイデアを踏まえて編曲し直して”I want”は出来あがりました。

他人に編曲してもらうこと自体初の試みだし、
ブルシュガとウルマ、音楽性が全く異なるバンドの人間とコラボして
果たして上手くいくのかと不安もありましたが、
どうせやるならボスの言う「客観的な視点」をなるだけ取り入れたい、
そう思って田村君のアイデアを最大限受け入れて編曲しました。
結果、僕やかぁこだけでは辿り着けなかったであろう、
今までのブルシュガには無い雰囲気を持った曲に仕上がったと思います。

かぁこの書いた歌詞も、今までとはちょっと雰囲気が違うな、と思います。
これまでかぁこが書いてきた歌詞は、言葉数が多く、少し分かりづらい言葉や言い回しでもって
割と長めのものが多いという印象だったんですが、
“I want”の歌詞はシンプルな言葉と表現で、非常に分かりやすいなと思いました。
今までの歌詞が悪いとかそういう意味ではないんですが、
単純に表現の幅が広がったな、と思います。

上記のような編曲のいきさつもあり、
またCDリリースまではライブで演奏しないと決めていた曲なので、
ギターについてはとりあえずライブでの再現は後回しにして、色々なフレーズを重ねています。
基本的な音色は歪みとクリーンですが、
メインリフにはショートディレイ、クリーンのアルペジオやオブリにはコーラス、
ギターソロは前半がコーラス、後半がブーストしてリバーブ、
そして転調前のセクションはフランジャー、
アウトロでもコーラスと、普段の僕からすると結構音色を細かく変えています。
なのでライブで再現する際は極力音源に近づけるようにはしていますが、
若干ライブ向けのアレンジで弾いているところもあります。
その辺りは実際音源とライブで聴き比べて頂けたら。
“青い鳥”や”Don’t stop~”のように一筆書きのようなギターも好きなんですが、
“I want”のように、異なるトラックを重ねて構築していくのもレコーディングならではで楽しいです。
さて、つらつらと思うがままに語ってみましたが、
「この曲はこういう曲だからこんなふうに解釈してほしい」という意図は全くありません。
楽曲を聴く上で「そんなことがあったのね」くらいに思ってもらえれば充分です。
第一、一番言いたいことは僕もかぁこも曲に込めているわけですから。
最終的には聴き手に色んな解釈をしてもらえたほうが、曲も喜ぶと思います。
思い思いに「碧と朱の世界-アオトアカノセカイ-」を味わって頂けたら、
そしてこのセルフライナーノーツが、そのちょっとした手助けになれば、幸いです。

 

 

(2016.1.16更新)

第4回 THE YELLOW MONKEY

新年のご挨拶が遅くなりました。
今年もよろしくお願いします。

2016年が始まってまだ半月しか経っていませんが、
バンドマンとタレントの不倫や結婚、
偉大なるロックアーティストの訃報、
国民的人気グループの解散騒動と、
ここ数年類を見ないくらいのハイペースで
様々なニュースが世間を賑わせています。
その中でも1月8日にドロップされたTHE YELLOW MONKEYのニュースは
音楽ファンを歓喜させました。
もちろん僕もその一人です。

第1回のコラムでも少し触れましたが、
高校1年生3学期の音楽の授業で、
クラスメイトとバンドを組んで1月から練習を重ねて
年度末の発表会で演奏する、というカリキュラムがありました。
当時僕は楽器が何も出来なかったので、ボーカルを務めることになりました。
その即席バンドのリーダー的存在だったギター担当が演奏曲に選んだのが
THE YELLOW MONKEYの”JAM”でした。
友人からCDを借り、自宅で歌を覚えて、
音楽の授業や楽器屋のスタジオでバンド練習を行い、本番に臨みました。
歌いこなせたとは思えませんが、
選曲が良かったのか、楽器隊の演奏が良かったのか、
音楽のクラスから選抜されて学年集会でも演奏を披露しました。
今でこそ当たり前のように人前で演奏していますが、
当時の僕はせいぜい友人数人とカラオケに行く程度、
同学年全員の目の前でバンド演奏と一緒に歌うなんて、
楽しむ余裕もなく、ただただ緊張するばかりでした。

そこからギターやバンドにのめり込むのはもう一年ほどかかることになりますが、
これをきっかけにTHE YELLOW MONKEYを好んで聴くようになりました。
ベストアルバム”TRIAD YEARS act I”と”~act Ⅱ”から入って、
オリジナルアルバムは”SICKS”に始まり、そこから旧譜も遡って聴きました。

大学に進学し軽音サークルに入部、
初めて組んだバンドで初めて演奏したのもTHE YELLOW MONKEYでした。
女性ボーカルのバンドなのに
選曲したのはイエモン好きなドラマーで(もちろんANNIEと同じく2タムでした)、
しかも”SUCK OF LIFE”というコアな選曲でした。
その後も”花吹雪””嘆くなり我が夜のFantasy””BURN”とレパートリーは増えていき、
僕ら楽器陣は楽しかったのですが、後から聞いた話だと
当時ボーカルだったその女の子にとっては
キーも低いし別にそこまで好きなバンドの曲でもないので
「これがきっかけでイエモンが一時期嫌いになった(笑)」とのこと。
申し訳ないことをしました。

アルバイト先で知り合った先輩がこれまたドラマーで(メジャーデビュー経験有り)、
アルバム”FOUR SEASONS”の前後から音源はもちろん
ライブにも行きつけているかなりのファンだったことから、
バイト先でもTHE YELLOW MONKEYのコピーバンドを組むことになりました。

ただ、高校・大学時代をそれぞれ宮崎・鹿児島といういわゆる地方で過ごした僕にとって
THE YELLOW MONKEYのライブに出掛けて行くというのはそれなりにハードルが高い、
というかそんな発想もなかったように思います。
そうこうしているうちにTHE YELLOW MONKEYは2001年1月8日、
東京ドームのライブをもって活動休止に入りました。
WOWOWで生中継されたそのライブを録画したビデオテープは
それこそ擦り切れるんじゃないかというくらい繰り返して観ました。

大学卒業後は横浜に出てきてバンド活動を始めるわけですが、
前述のバイトの先輩とは再びイエモンバンド
「the Velvet Stingray」を組むことになります。
自分のオリジナルバンドばかりやっていると
曲作りや演奏がどうしても手癖に頼りがちというか、
自分が得意なことばかりしてしまうものです。
しかしこのタイミングでコピーバンドを組んで、
僕がかねてから影響を受けてきたアベフトシやベンジー、
布袋寅泰とはまた違った魅力のあるEMMAこと菊地英昭のギターをコピーしていくと
色々と新しい発見があったし、何より単純にギターを弾く時間が飛躍的に増えたので
自分で言うのもなんですが結構上達したと思います。
それから夢うららのボーカル・内田政徳君と出会うきっかけになり、
何よりあの三国義貴さんと共演できた「夕暮れのジュリエット」、
女性ベーシスト・えっちゃんが首謀者の「パチモン」と、
計3つのイエモンコピーバンドをかけ持ちするに至りました。

THE YELLOW MONKEYの魅力を一言で言い表すのは難しいですが、
しいて言えば「違和感」でしょうか。
楽曲は王道のロックのようでいて、ちょっとヘンテコな日本語の歌詞が乗り、
サウンドは洋楽志向なんだけれどメロディーは歌謡曲、
メンバーのルックスはメイクとステージ衣装でキメているけれど
お茶の間レベルで市民権を得た耽美的なビジュアル系ではなく、
どこか退廃的で哀愁のある「グラムロック」の佇まい。
よくよく考えればどこかしらちょっとずつ違和感のある
THE YELLOW MONKEYというバンドが、世間に媚びることなく
そのまますくすくと大きくなっていったのは痛快でもあり、
だからこそメンバーやバンドは変わらないのに
周りを取り囲む環境の変化に適応できず、
一旦終わりを迎えてしまったのかな、とも思います。

あとTHE YELLOW MONKEYはどうしようもなく「バンド」でした。
バンドなんだから当たり前と言われてしまいそうですが、
演奏する4人が一丸となって突っ込んだりモタッたり、
また各々音符が飛び出したり、
普通ならミスとか下手だとか思われても仕方ないそれらの要素が、
彼ら4人の手にかかればものすごい「バンド感」を生み出す欠かせないものとして機能していました。
吉井和哉がソロのライブでTHE YELLOW MONKEYの曲を演奏することがあるけれど、
サポートバンドの演奏だとイエモンが持っていた「バンド感」は全くなくなってしまいます。
各パートのテクニックだけ比較すれば決して本家に勝るとも劣らない技術を持っているメンバーでも、
いざ演奏するとイエモンの突っ込みやモタり、音の雑味がきれいにスポイルされてしまい、
同じ楽曲でもまるで違って聞こえてしまいます。
それはかつてEMMAが吉井和哉のサポートでギターを弾いていた時もそうでした。
4分の1でも4分の2でも駄目なんです。4人(とサポートキーボードの三国さん)が揃って初めて
THE YELLOW MONKEYの楽曲はTHE YELLOW MONKEYのものとして鳴るんです。

「バンド感」と言えば、彼らメンバー間の仲の良さも
バンド感を生み出している大事な要素だと思います。
僕はTHE YELLOW MONKEYの映像作品の中で”TRUE MIND”というソフトが一番好きなんですが、
ライブ映像のカッコ良さはもちろん、ツアー先や移動中のオフショットでの
メンバー全員仲良さげな様子も、見ていて凄く楽しいんです。
僕も自分のバンドでこういう映像作品を作りたい、とさえ思います。
もちろんバンド内に緊張感があって、人前ではあまり笑顔を見せない
クールなバンドだってカッコいいとは思いますが、
THE YELLOW MONKEYみたいに仲の良いバンドの方が単純に観ていて希望が持てるし、
彼らのそういうところもファンに愛される要因の一つなんだと思います。
解散した時も、吉井和哉は自分のせいだと己を責めたし、
他のメンバーはそんな吉井の苦悩に気付いてやれなかった、と悔んでいました。
解散の理由を誰も明確に話すことができない、
または「大人の事情」みたいなふわっとした言葉でお茶を濁すのではなく、
それぞれの口から解散のいきさつや思いの丈を正直に語ることができたのも、
彼らの良好な関係が解散の前後でも変わらず続いているからこそだと思います。

そんなTHE YELLOW MONKEYのメンバーが2016年、集結してツアーを発表しました。
彼らは「再結成」という言葉を使わず「集結」と言っています。
そこにどんな意味が込められているのか、
またこの活動は期間限定なのか、
新譜の発表はないのか、
ツアーに帯同するキーボードィストは三国義貴さんなのか、
色々考えてしまって、もはや手放しでは喜べなくなっている困った奴です。
愛したバンドが再びあの名曲たちを演奏してくれる、
それだけでも充分幸せなことなのかもしれません。
でも僕はロックバンドの「今」が聴きたいんです。
THE YELLOW MONKEYに今の時代を一緒に生きてほしいんです。
だからマイペースでもいいから、今の4人で演奏し続けてほしい、
今の4人が生み出した曲を聴かせてほしい、そう切に願います。

 

(2015.10.21更新)

第3回 名前をつけてやる

バンド活動を続けていると、
バンド名に始まり、曲名やCDのタイトル、更には自主企画のイベント名と、
何やかやと名前をつける機会に恵まれます。
僕がリーダーを務めるバンド・BLUE SUGAR SPIRITSは、
バンドを立ち上げる際に僕が名付けました。
たまに「どういう意味なんですか」と訊かれますが、
特に大層な意味はありません。
ただ好きな単語を三つ並べただけです。
でもいつだったか誰かが「青くて甘いお酒」と訳してくれて、
ああ、悪くないな、と思いました。

僕もかぁこもそれぞれ詞を書くので、
曲のタイトルに関しては詞を書いた人によって雰囲気が変わってきます。
僕は大体歌詞の一節をそのままタイトルにしてしまいますが、
かぁこは歌詞には出てこないけれど、
曲のイメージを言い表す言葉をタイトルにすることの方が多い気がします。

それらの楽曲をまとめたCDのタイトル決めも僕の役目です。
“ホワイトファルコン”等を収録したCDは、
レコーディング時、仕上がった楽曲に対する手応えと共に、
「バンドというものはいつかは終わってしまうものなんだ」
という覚悟がようやく自分の中で固まって、
だから「the beginning of the end」というタイトルにしました。
“ヘヴンリー””ロザリオ”を収録したCDは、
どの曲も非常に生命力にあふれている印象を受けたので、
雪原に咲く花をジャケットに描いてもらい、
「ALIVE」と名付けました。

そして2015年11月、久しぶりにBLUE SUGAR SPIRITSの自主企画を開催する運びとなり、
そのタイトルも僕が決めました。
“Strike Back”、「逆襲」とか「反撃」とかそういう意味です。
業界の不況や時代の流れにより、色んな意味で苦境に立たされているバンドやバンドマンが
いつにも増して奮い立てるイベントになれば、と思ってこのタイトルにしました。

余談ですがこれらのタイトルをバンドメンバーのかぁこに初めて見せる時が一番緊張します。

とまあ色々と書き連ねてみましたが、
子供の頃読んだ本で「名前自体に意味や価値があるわけではない、
その名前を持った人やものがどれだけのことをやってきたかで
名前というのは輝くものなのだ」という一文があって、
子供心になるほどなあと思いました。
もちろん名前を付ける時には知恵を絞って
なるだけセンスの良い名前にしたいと頑張るわけですが、
BLUE SUGAR SPIRITSというバンド名が
リスナーから「ブルシュガ」と略されたり、
具体的な楽曲名で「○○が好きです」とか言われたりすると、
僕らが付けたまっさらな状態の「名前」が、
色んな意味や価値を持ち始めてより「名前」らしくなったなあと
感慨深いものがあります。

ちなみに僕自身の名前「大輔」ですが、子供の頃はあまり好きではありませんでした。
僕にとって「大輔」という字面は大柄・骨太でスポーツマンな感じがするのに、
実際の僕は小柄で文系で大人しくて、とても自分にふさわしい名前とは思えませんでした。
更に名前の由来が、僕が生まれた当時甲子園で大活躍した投手・荒木大輔から
野球好きの父がとったというのもピンと来ませんでした。
しかもその父の期待に応えて高校球児になるわけでもなく、
名前とのギャップは自分の中で広がっていくばかりでした。

でもそんな子供の頃は名字で呼ばれることがほとんどだったのが、
バンド活動を始めるにあたり、当時のバンドメンバーから
「下の名前の”大輔”をステージネームにしなよ」と勧められました。
深い考えもなくその通り「大輔」を名乗るようになって、
周りの人たちから下の名前で呼ばれるようになってから、
段々と自分の名前がしっくりくるようになってきました。
何者でもなかった、自分に自信を持てなかった僕が、
ギターを抱えて人前で演奏して、まだまだ未熟だけれど
「自分にはこれがある」と人に胸を張って言えるようになって、
ようやく自分と「大輔」という名前とが折り合いをつけ始めたのかもしれません。
「大輔」という字面に対する僕のイメージは相変わらず大柄・骨太でスポーツマンのままですが、
そのギャップもまた良し、と思えるくらいには図々しくなってきたような気がします。

そして”Cuttin’ Blue Edge”、
僕が命名したこのウェブサイトの名前が、
これから先、僕のギタリストとしての活動によって
多くの意味や価値を持って輝けるように頑張ろうと思います。

 

(2015.7.29更新)

第2回 生まれも育ちもテレキャスター

前回のコラムから2ヶ月も空いてしまいました。
忘れていたわけではないんです。
いつも「コラム何書こうかなー」という思いはあったんです。
でも気付けば2ヶ月、新緑の季節からすっかり真夏となりました。
あな恐ろしや。

で、2ヶ月悩んだ挙句に前回のコラムの続きっぽい文章を書く僕をどうかお許しください。

少しずつではあるけれどギタリストへの道を歩き始めた西村少年、
そろそろ自分のギターが欲しくなります。
そして憧れのギタリストたちが弾く様々な形をしたギターの中でも、
布袋寅泰が、アベフトシが、TAKUYAが弾いていた、
いわゆる「テレキャスター」というモデルに惹かれるようになりました。

ただし今冷静に考えてみると、
前述のギタリスト達はフェンダー純正のテレキャスターではなくて
他メーカーによるシグネイチャーモデルなんですよね。

何はともあれ「初めて手に入れるギターはあの形にしよう!」と決意します。
初心者ですから出音がどうこうとかそんなことはどうでもいいんです、見た目が肝心なんです。
そんなこんなで大学進学と同時に僕が人生で初めて買ったギターは、
バンド雑誌の通販ページに掲載されていたメイビスというメーカーのテレキャスタータイプでした。
チューナーとかストラップとか小さいアンプとか色々付いて税込27000円、今でも覚えています。

楽器は値段じゃない、とはいえさすがに通販の27000円では
弾いているうちに不満が募ります。
何しろハウリングがひどかった。
当時鹿児島の大学生だった僕が所属していた軽音サークルで使っていたギターアンプは
PEAVEY(ピーヴィー)の5150という、かのエディ・ヴァン・ヘイレンが使っていたアンプで、
そのアンプの出力に耐えきれない僕のテレキャスはいつもピーピー泣いていました。
5150の隣にはローランドJC-120が控えていたのですが、
初心者にありがちな「こんな歪まないアンプでロックが出来るか!」
という粋がりでもって、頑なにPEAVEYを使っていました。
それが今や現場でレンタルするのは安定のJC-120ですから、人間変わるものです。

大学1年の冬、遂に本家フェンダーのテレキャスターを買いました。
本家といってもフェンダーJAPANですが、ピックアップはメキシコ製、確か7万円くらいだったかと。
ようやくハウらないまともなギターを手に入れて、散々弾き倒しました。

あ、これ書きながら思い出しましたが大学1年の夏か秋に布袋モデル買ってました。
一番ランクの低いモデルをしかも中古で、3万円くらいだったと思います。
しかも当時上京していた友人が「安くで見つけたんだけど買う?」って連絡してきて、
わざわざ送金してギターを郵送してもらったっていう。
弾いていて楽しいギターではあったけれど、テレキャスとは似て非なるものでしたね。
結局横浜に越して来る時にサークルの先輩にあげてしまいました。

そして大学3年の冬、人生で初めてローンを組んで買ったギターが
フェンダーUSAのテレキャスター、このウェブサイトのトップ画面や
アー写に写っている黒いテレキャスターです。
もう10年以上弾き続けているのか。
僕が所有するギターの中でも一番長い時間寄り添ってきた相棒です。
他のエレキギターを購入したり弾いたりする時も、
このテレキャスターの音を軸に色々考えます。

その後もフェンダーカスタムショップのテレキャスターに
もう一本フェンダーUSAのテレキャスター、
そして80年代フェルナンデス製のボディを中心に組み立てられたテレキャスと、
我が家のテレキャスターは増殖の一途をたどり続けています。

ベンジーに憧れて手に入れたグレッチ・テネシアンももちろん大事な一本ですが、
ギタリスト大輔は生まれも育ちもテレキャスターなんです。

テレキャスターの何が魅力なのかと問われれば、
色んな意味で「弾いた分しか応えてくれない」ところでしょうか。
桁外れに太い音が出るわけでもなく、サステインがすごいわけでもなく、
トリッキーなプレイに向いているわけでもない。
右手で弦を弾いたらそのニュアンスがそのまま音になって出てくる感じ。
そういう意味で誤魔化しが効かないし、
逆の言い方をすれば弾いた分だけ、練習した分だけちゃんと鳴ってくれる武骨な相棒、という感じ。
グレッチ・テネシアンも似た感じなんですが、テネシアンはもう少し色気があるというか。
まあグレッチについてはまた別の機会に。

そういう融通の効かない楽器に惚れてしまったせいで、
僕はギターに向かって「鳴ってくれ!」と必死こいて
ストロークやカッティングを繰り返すギタリストになったんだと思います。

 

 

(2015.5.23更新)

第1回

日常的にブログを書いているので
このサイトに改めてコラムとして何を書こうか、と考えました。
ブログは日記というか、その時々のことを書くことが多いので、
そちらで書くことの少ない事柄、僕にとって普遍的なことや
掘り下げた話を書いていこうと思います。

というわけで第一回目のコラムは僕がギターを弾くことになったいきさつについて。

初めてギターという楽器を意識したのは確か中学2年生の頃、
昼休みに音楽室でクラシックギターを弾くのがクラスで流行りました。
ただその時はコード(和音)をかき鳴らす人は一人もおらず
(そもそもクラシックギターはあまりコード弾きをする楽器ではないが)、
“STAND BY ME”のベースラインを単音でなぞるという何ともストイックな遊び方。
それで「ギターってつまんないんだな」という第一印象を持ってしまいます。

ほどなくエレキギターに熱中するようになったとある友人から
「これがギターだよ、ロックなんだよ」と聴かせられたのが
布袋寅泰のベスト”GUITARHYTHM FOREVER Vol.1″と”~Vol.2″でした。
確かにカッコよくてたくさん聴きました。
しかし「どの曲が良かった?」と彼から感想を求められ、
「”SLOW MOTION”が良かった」と答えると、
「それギター入ってないじゃん!」と突っ込まれるほど、
この時はまだギターというものに意識が行っていませんでした。

でもその後も彼からはAIRやBOOWY、LED ZEPPELINやNIRVANAと
邦洋問わず色々な音楽を教えてもらい、
僕の音楽性に間違いなく影響を与えてくれました。
彼とは小・中・高と一緒で部活も中高一緒でしたが
高校卒業後は音楽の専門学校へ行くために上京、その後留学のため海外へ。
今どこで何してるんだろう。

さてそんな感じのまま高校に入学、
1年の音楽の授業で3学期のカリキュラムが
「クラスメイトとバンドを組んで一曲コピーする」というものでした。
その時組んだバンドで演奏したのがTHE YELLOW MONKEYの”JAM”、
当時何も楽器が出来なかった僕はボーカルとしてステージに立ちました。
めちゃくちゃ緊張してろくに前を見ることも出来ず、
ほとんど目をつぶったまま歌ったことだけは覚えています。

翌年も同じく音楽の授業内でバンドを組むことになったものの、
メンバーがうまく集まらずギターを弾ける人が足りなかったため、
僕がギターを弾きながら歌うことになりました。
部活の後輩からエレキギター(レスポールタイプにアームのついた、
今思うとまるで奥田民生モデルのようなギター)
と小さなアンプを借り、タブ譜をたどたどしくなぞっていきます。
ここでようやくギターとはコードも弾けるしソロも弾けるし
何よりアンプにつないだら大きくて歪んだカッコいい音が鳴る、
素敵な楽器なんだということに気付きます。

僕が人生で初めてコピーした曲はそのバンドで演奏した2曲、
布袋寅泰の”MERRY-GO-ROUND”とGREEN DAYの”When I Come Around”です。

授業での演奏は拙いものだったけれど、
それからギターが面白くなって、
後輩にギターを返してからも実は自宅にあった父のアコギを弾く日々が始まりました。
そして大学に進学して軽音サークルで更にどっぷりバンドにはまって
現在に至るわけですが、その辺りの話はまた今度。

 

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